ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
母は成功者で、趣味を仕事に、仕事を趣味にしたような人でした。それはつまり無趣味を意味するかもしれません。現役の頃は忙しいばかりでしたよ。おそらく最大の楽しみは、毎週、父と遠くのスーパーへ車で買い物に行く事だったのかも知れません。父も母も戦中戦後のモノのない時代に育っています。買い物そのものが最大のレジャーだったのかも知れませんね。
母に認知症の診断がおりて七年くらいした頃でしょうか。デーサービスには毎日行っていましたが、日曜日は休みです。かつては日曜日には、父が買い物に連れて行ってくれていましたが、父は他界してしまいました。私の愛妻も舞台関係の仕事をしているので日曜日は忙しく、私は母と二人きりで過ごさなくてはなりませんでした。母を一人にするとどこかへ行ってしまって、帰って来られなくなる可能性があったからです。
その頃、私が日曜日に母としていたのは買い物ごっこでした。我が家から最寄りのスーパーまで徒歩三十分ほど、一緒にゆっくり歩いて行きました。認知症の進行の予防には歩くのがいいと言われています。スーパーに着いたら、母に買い物カゴを渡し「好きなモノを買って下さい」と言って一人にしました。私は喫煙所へタバコを吸いに行きました。そのスーパーの喫煙所はすべての出入り口を一望できる構造になっていて、私がタバコを吸っている間に母がスーパーを出てどこかに行ってしまう心配はありませんでした。一服終えて、スーパーの中に戻ると、母が何かしらカゴの中に入れていました。それをお会計して、その日は母の選んだ食材を夕飯にしていたのです。
うまくいくときもあるのですが、うまくいかないときもありました。母の選んだ食材の調理方法が分からない場合があったのです。仕事から帰った愛妻に「これ、どうやって食べるか知ってる?」と聞いても分からない場合もあったのです。スーパーというのは、自分のなじんだ食材しか並んでないと思い込んでいましたが、実際、母に選んでもらうと、どう食べていいのか知らないモノも並んでいるんです。お母さん! そもそもあなたもこんなモノを調理したことないでしょう? 私は食べたことありませんよ!
農家の皆さん、漁師の皆さんごめんなさい。調理法が分からず、何度か食材を捨ててしまったことがあります。でも、買い物した後は、母は少しご機嫌がよかったんですよ。
English
イラスト by Sato
母に認知症の症状が出始めてから、正式に専門医にアルツハイマー病と診断を受けるまで2~3年ほどかかっています。この時期が一番つらかったです。母は仕事をしていたので、同僚達が「おかしい」と病院に連れて行くのですが、そう簡単にアルツハイマー病の診断はおりないのです。私も付き添い、何人もの医師に検査を受けました。
ほとんどの医者が使う検査が「長谷川スケール」という診断法です。患者にいくつか質問して病気かどうか判断するのですが、中にこんな質問があります。
「『桜、猫、電車』という単語を覚えてください。後で聞きますので、答えてくださいね」
そして他の質問をいくつかして
「さっきの3つの単語思い出してください」
と言うのです。アルツハイマー病の人は思い出せないことがあるのです。
でも母は当時、初期だったので、答えられたのです。そして、どの医者も同じ事をやります。「桜、猫、電車」同じ単語を何度も覚えさせるので、母はすっかり覚えてしまいました。それが診断の遅れた理由の一つかも知れません。
「長谷川式」の原文も読みましたが、長谷川博士はこういう事態を予想してもう1パターン作っています。「梅、犬、自転車」。でもこの「梅、犬、自転車」を使った医者は一人もいませんでした。植物、動物、乗り物の組み合わせですから、「柳、猿、車」でも「ラフレシア、チラノザウルス、セグウェイ」でもいいはずです。沢山の医者に会いましたが、誰一人こういう応用ワザを使った人はいません。
診断が遅れたのを恨んでいるわけではありませんが、医者というのは意外と想像力のない人ばかりなのかも知れません。
English
イラスト by piangtawan
母がアルツハイマー型認知症になって、かなり早い時期の事。母は自分の名前が書けなくなりました。普通、認知症患者はかなり病気が進むまで自分の名前くらいは書けるモノです。繰り返し身体で覚えたことですから、結晶性知能になっているんですね。ところが母はそれが出来なくなりました。病気の進行が人より早かったわけではありません。母は本名とは別に、仕事用の名前を持っていたからです。本名も仕事用の名前も発音は同じですが、仕事用の名前は表記をひらがなにしていたのです。
名前を書こうとすると、漢字で書くか、ひらがなで書くか迷ってしまうのです。どちらも何度も繰り返し書いてきた結晶性知能なので、決着が付かない。結局悩んで名前が書けなくなるのです。
認知症患者が名前を書けるかどうかというのは実は大問題なのです。金融機関、役所などは自筆のサインを求めてきます。代筆ではダメな場合が多いのです。極端な話、自分の名前さえ書ければ、弁護士に書いてもらった遺言書を有効にすることが出来ます。遺言は老人に残された数少ない武器の一つです。これが使えないとなると本人も介護する人も辛いです。
結婚で名字が代わった人も認知症になると早期に名前が書けなくなるかも知れません。
私も名字が一度代わっているし、ペンネームを使っていたこともあるので危ないです。
演劇関係者の皆さん! 大問題ですよ。演劇人は芸名を使っている人も多いです。本名を知らない友人も多いです。認知症になった時、自分の名前が書けなくなるかも知れません。郵便や宅配は表札に芸名を出しておけば届きますが、金融機関や役所は本名しか受けつけてくれません。
何かうまい解決の方法はないものですかねぇ。
English
写真 by sashkin7
私の祖母の妹、大叔母は2007年にアルツハイマー型認知症と診断されました。夫に先立たれて、お子様はおらず、一人暮らしでした。それから約3年間、私は大叔母の暮らしを支援しました。毎日電話して薬を飲まし、毎週訪ねていって掃除をして、毎月病院に連れて行って受診させました。
私の母もそうですが、大叔母はもともと頭のいい人でした。読書が趣味で蔵書も多く、何冊も借りて読ませてもらいました。若い頃は弓道の愛知県代表で何回も京都の全国大会に出場したそうです。文武両道だったの訳です。
そしてどうやら、認知症患者としては珍しく、自分が認知症であると気づいていたようです。今から考えると、大叔母はいくつか対策を立てていたのです。
1つは毎日散歩に出る。一見認知症患者には徘徊の危険があるように思えますが、大叔母の場合は有益でした。毎日決まったコースを歩くようにしていれば、迷いませんし、近所の人に自分の無事を知らせることが出来ます。大叔母はその地域では顔見知りが多かったようです。
2つ目は自炊をやめて、朝食は喫茶店、昼はスーパーのお総菜、夕飯は近所の定食屋と同じ店で食べていました。失火対策です。そしてそれらの店に私を連れて行き紹介してくれました。体調が悪そうな時、顔を見せない時は喫茶店等のマスターから私に連絡が来るようにしたのです。実際に何回か連絡がありとんでいったことがあります。
3つ目は自宅のお風呂を壊して、近所の銭湯に行くようにした事です。高齢者が亡くなるのは風呂場が多いそうです。銭湯なら何かあったとき、近くに人がいます。お風呂屋さんには迷惑でしたでしょうが、大叔母の家には、お風呂屋からガメてきた備品がありました。
4、新聞と牛乳をとり続けた。大叔母が新聞を読んだ形跡はありませんでした。牛乳も飲みません。私が毎週訪ねていって、最初にやることは冷蔵庫にたまった牛乳を処分することです。めんどくさいし、もったいない。私は大叔母に新聞と牛乳の購入をやめるように提案しましたが、かたくなに拒否されました。後で分かったことですが、玄関に新聞や牛乳がたまると、警察に連絡が行くというシステムがあるのです。最悪の事態の場合、警察に発見してもらえるのです。警察に発見してもらえれば話が早い。
5、お寺の和尚さんに、亡夫の月命日に読経に来てもらうようにしていました。これをやっておけば、最悪の事態になっても、一ヶ月以内に和尚さんが発見してくれます。和尚さんに発見してもらえれば、もっと話が早い。大叔母は元気な時期はこれをやっていませんでした。
私が気づいて思いだせるのはこれだけですが、他にも色々やっていたのかも知れません。
基本的には自分に関わる人を増やすことです。認知症患者は引きこもりがちですが、大叔母はあえて外に出るようにしていたんですね。
ある時、私が大叔母と歩いていると、すれ違った初老の女性が私に耳打ちをしました。
「この人ちょっとおかしいよ」
私は答えました。
「知っています。要介護認定も受けています。」
その女性から離れた後、大叔母は私に言いました。
「あの人、私がおかしいって言ったんだろう?」
大叔母が自分の病気のことを知っているのに驚きましたし、近所の人に噂されていることにも気づいていることにも驚きました。
悪い噂をされることを承知で、自分を世間にさらしながら散歩に、食事に、銭湯に行っていたんですね。大叔母は毅然とこの病気に立ち向かっていたんですね。
私はほんの助太刀をしただけです。
English
イラスト by teltel-woo
いい役者の部分は、患者の繰り返しの話に初めて聞くようなリアクションをしたり、患者の気持ちが落ち着くような愛情のある作り話を聞かせたりする能力が必要であるという意味です。
名探偵の部分は、難しい言葉で認知症症状了解可能説に根差すものです。認知症患者が行う一見無意味な行動も、名探偵の洞察力を持てばその意味を理解し、その原因を解決できるかもしれないという意味です。
私の母の場合は一時期、出かける度にカレーのルーを買ってくるというのがありました。我が家には段ボール何個分ものカレーのルーがたまっていきました。これを謎とくのなら、母は若いころカレーのルーに助けられたことが何度もあったのだと考えることができます。私がまだ子供だった時、母はカレーさえ作っておけば夕飯の時間を気にせずに仕事ができたのです。まだ電子レンジのない時代。カレーなら子供でも温めるだけで済みます。カレーがないばかりに職場に最後までおられず、悔しい思いをしたことも何度もあったのでしょう。
しかしこの場合、原因を見つけたとしても、解決まではできません。私がもう大人で、夕飯を自分で用意できることや、我が家に山ほどカレーのルーがあることや、そもそも母がもう働いていないことをいくら説明しても、残念ながら意味はありません。それらの説明は一瞬で忘れてしまいます。
我が家では、母が買いたいだけ買わせるようにしていました。母の買ってきたルーは日ごろお世話になっている人たちに配りました。カレーのルーを受け取って、目を潤ませる人もいました。仕事をしていた女性が認知症になって、カレーのルーを買い続けることの意味を瞬時に理解したんですね。
世の中にはたくさんの名探偵がいます。
イラストby takagix