ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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私の大叔母はお子さんはおらず、夫には先立たれ、一人暮らしで認知症でした。私は2007年から数年にわたり遠距離介護をしていました。毎朝電話して、毎週掃除に行って、毎月病院に連れて行きました。
病院は大叔母の家の近所の内科医に通っておりました。病院はいつも混んでおり、待ち時間も長かったです。
こういう待ち時間を利用して、私は語学の勉強をしていました。英語と中国語。読んだり書いたりするはイスさえあればできることです。いつもクリップボードを持ち歩いていました。
ある日、大叔母と病院の待合室で診察を待っておりました。私は勉強をしていました。すると、隣の席に座っていた小学校4、5学年くらいの女の子が笑っているのです。その隣に座っているお母さんらしき人に、しきりに耳打ちをしています。どうやら私を笑っているようなのです。お母さんらしき人は子どもを鎮めようとしているようです。
不安になりました。社会の窓が開いているのかも知れません。鼻毛が出ているのかも? 顔に何かついているのかも知れない? トイレに行って鏡を見て、子どもに笑われるような所がないか何度も確認しました。
なぜ子どもが笑っているのか、わからないまま、無視して勉強を続けました。
病院の受付の人が名前を呼びました。すると、その親子が受付に行きました。やっと謎が解けました。
その親子の名前は中国の方の名前だったのです。
ご両親のどちらかが中国人、あるいはどちらも中国人。日本で育っているあの女の子は、生まれながらの日本語・中国語のバイリンガルなんですね。その頃、私はやっと中国語検定3級をとれたぐらいの実力。3級と言っても、中国人から見れば、小学1、2年生程度の内容です。
大の大人が、小学校低学年レベルの内容を必死に勉強していて、しかもきっと時々間違えたりしているのです。これは笑えますね。
笑ってないで、話しかけてくれたらよかったのに。仲良くなれば、これ以上ない中国語の先生になってくれたろうに。
きっと照れくさかったんですね。
English
イラスト by ピンカリ
アルツハイマー病の母と同居していた頃、私はショートステイに母を預けるのを楽しみにしにしていました。ショートステイに送り出す日を指折り数えて、それを励みに介護をしていました。施設には感謝しています。
高い施設はサービスがよく、安い施設はよくないみたいに書いたことがありますが、そう単純なものではないという事実を突きつけられたことがあります。高くて安心して預けていた施設が、おかしな事になってきたのです。当初その施設は何ヶ月も前から予約を入れないと、預かってもらえなかったのですが、予約なしで預かってもらえるようになりました。初めは喜んでいたのですが、それは施設に変化があった証拠だったんですね。ショートステイから帰ってきた母の様子が落ち込んでいるように見えました。迎えに来る人も無愛想で、仕事が雑な印象を受けるようになりました。施設に面会に行くと、明らかに職員の数が減っていました。母は認知症なので施設の様子は話せませんでしたが、何かよくないことが起こっているようでした。
愛妻との協議の結果、施設をかえることにしました。
スポーツなどでも、昨年優勝したチームが、次の年、最下位になることもあります。選手の年俸の高いチームが常に優勝するとは限りません。かつては優秀な介護士達が高い士気で働いていた施設が、何かのきっかけでおかしな事になるのは当然あり得ることなのです。どんな組織でもあり得ることです。
施設に預けるのではありません。人に預けるのです。
現在、母には、私達が選べる範囲の中で、最高の施設に入ってもらっています。しかし、油断は出来ません。毎週面会に行っています。母の様子を見るのも、もちろんですが、働いている職員さん達とのコミュニケーションも忘れないようにしています。
私の友人は別の高齢者施設に介護士として働いているのですが、面会客がこまめに来てくれるとやる気が出ると言っていました。
みなさん! 高齢者施設にはできるだけ行きましょう。行って面白いところではありませんけどね。高齢者施設に詳しくなれば、私達自身が利用するときに、役立つかも知れませんよ。
English
イラスト by keko-ka
認知症の母の介護をする中で、時々、予想外な対応にあって、驚くことがありました。初めて会った介護関係者の人が、私を素人扱いするのです。
一時期、母には24時間介護が必要でした。毎日デイサービスには行っていましたし、愛妻にも手伝ってもらいましたが、それでも毎日18時間ほどを母と過ごしていました。時期によって必要とされた介護は違いましたが、十年以上それをやっていたのです。その私を素人扱いとは! 少なくとも母の介護に関しては、私はベテランですよ!
介護をしているのは女性が多いです。我が家に関わったケアマネさんや介護士さんやヘルパーさんは、ほとんど女性でした。役所の認知症介護の集まりでも、メンバーは女性だけでした。私のように男性が主体になって介護しているのは珍しいので、NHKが取材に来たほどです。
でも、私も、知らないうちに「男性は介護が下手」と思い込んで行動したことがあります。
ある日、病院で母のレントゲンを撮ることになりました。レントゲン技師は男性でした。車いすからベッドに移動させるとき、私は母を介助しようとしました。するとレントゲン技師が言いました。
「いいですよ。私がやりますよ」
私は一瞬(この人、男の人だけど大丈夫かな?)と思いました。しかし、彼は私よりも上手に母をベッドに移したのです。
その病院は高齢者専門の病院でした。そこのレントゲン技師は、専門家だったんですね。当たり前です。私は無意識のうちに技師は男性だから、介護が下手だろうと思い込んだのです。
こういった思い込みは無意識のうちに私達にすり込まれているものですね。私が行く先々で素人扱いされたのも仕方がありません。介護に参加する男性が増えれば、こういう思い込みもなくなっていくんでしょうね。
English
イラスト by しんたこ
アルツハイマー型認知症の母と同居していたとき、母がドキッとするようなことを言うので、驚いたことが何度もあります。
そのうちの一つが、何でもないときに聞いてきたこの一言です。
「私はいつ死んだらいいんかね?」
今日のご飯は何? くらいのトーンで聞いてきました。
私は一瞬、言葉につまりました。
認知症介護は過酷です。同居介護は十年を超えていました。介護さえなければ、自分のために時間を使えます。会いたい人もいるし、やりたいこともありました。本心をいえば、今すぐ介護から解放されたいと思っていました。「いつまでこの生活が続くんだ」と、いらだつのは毎日です。
でも、ぐっとその気持ちを抑えました。
そして、私は演劇人ですから、こう答えました。
「自分のタイミングでどうぞ」
イラスト by vectorpocket
認知症の母には、ある時期からオムツを使ってもらうようにしました。オムツを使ってもらうタイミングは難しくて、タイミングを早すぎると、本人が怒ってしまって、オムツをしてくれなかったりするのです。認知症患者の多くは自分が病気だという自覚がありません。私達だって、突然、誰かに「オムツをしろ」と言われたら怒りますよね。
母の場合はケアマネさんが絶妙のタイミングでオムツをすすめてくれたおかげか、すんなりとオムツに移行できました。
ただし、母の前では「オムツ」という言葉を使わないように気をつけていました。認知症になっても、自分が「オムツ」を使っているという認識は屈辱なのです。母の前では「リハビリパンツ」という言葉を使っていました。これもケアマネさんに教えてもらった事です。
母に認知症の診断がおりて約十年が過ぎた頃、もう会話も成り立たないことが多くなったある日、私と愛妻は油断して、ついうっかり、母の前で、「オムツ」という言葉を使ってしまいました。すると母は怒り出したのです。
「誰がオムツを使うの! 私はオムツなんてせんよ!」
とっさに私はこう言いました。
「私のオムツの話をしているんです。私はオムツをしているのです」
すると母は安心してこう言いました。
「あんたのオムツの話か、ならいいわ」
50才も近い息子がオムツを使っているのも心配だと思いますが、母が納得するのならそれでいいのです。
よい認知症介護者は、よい役者でなくてはならない。即興芝居やアドリブ等の経験は認知症介護の現場では大変役に立ちます。
English
イラスト by hermandesign2015