ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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私がタバコを吸うようになったきっかけは、演劇でした。芝居でタバコを吸う役をもらったのです。練習して吸えるようになりました。そのまま、やめられなくなりました。ニコチン中毒です。
母は私がタバコを吸うのを嫌っていました。何度も叱られました。親に叱られたくらいでやめられるなら、それは中毒ではありません。
でも、私は母に気を使って、母の前ではタバコを吸わないようにしていました。目の前で吸わないのであれば、母も黙認してくれていたようです。
2007年、母はアルツハイマー型認知症と診断されました。私は同居していましたが、続けて、母の前ではタバコは吸わないようにしていました。
6年後の2013年頃のことです。母と長時間一緒に過ごさなくてはいけない状況があって、席も外せませんでした。吸わない人にはわからないでしょうが、ニコチン中毒の人は、長時間吸えないと本当に辛くなるのです。この頃には、すでに、母は私が誰だか分からない時もありましたので、屋外でしたし、おそるおそる聞いてみました。
「タバコ吸っていいですか?」
母はにっこり笑って
「どうぞ、どうぞ」
と許してくれたのです。
自分の息子がタバコを吸うのは許せませんが、知らない人がタバコを吸うのはどうでもいいんですね。
親が認知症になるのも、ニコチン中毒になるのも、最低の体験ですが、いいことも探せます。母が認知症になったおかげで、私は堂々と、親の前でタバコを吸うことが出来るようになりました。
みなさんはタバコを吸わないでください。身体に悪いですよ。
イラスト by bino
認知症介護の難しいことの一つは、お金のことです。自分に介護が必要になったとしたら、自分のお金を使いたいですよね。しかし、認知症の場合、それが出来ないことがあるのです。
原則的には、認知症であることが確定した人の財産は凍結されます。複雑な法的手続きを経なければ、本人が亡くなるまで誰も使えません。それは、本来は認知症患者を守るための制度ですが、介護者達を苦しめることもあるそうです。自分の老後にと思って一生懸命貯金しても、自分の介護に使えないというのはつらいですね。
母が認知症になったとき、私はその辺のことを知りませんでした。ある金融機関の窓口で、母が認知症であることを話してしまったのです。行員は、原則的には、母の口座を凍結しなければなりませんでした。しかし、その人は
「今のは、聞かなかったことにします」
と、手続き代行の手順を教えてくれました。
認知症患者をめぐる法的制度は決して整っているとはいえません。あらゆる状況が想定されるので、制度化しにくいのかも知れません。私は金融機関、税理士、弁護士などと連携をとりながら、手探りでお金の問題を解決していきました。現在の所、現場、現場で判断していくしかないみたいです。
私は銀行員ではありませんが、いつか、ふさわしい場面で
「今のは、聞かなかったことにします」
と言ってみたいと思います。
English
イラスト by Sato
アルツハイマー型認知症の中期の頃の母は、夕方になると、家にいるのに「帰りたい」と言い出しました。「たそがれ症候群」と呼ばれる物です。多くの認知症患者は夕方頃になると落ち着かなくなるそうです。
父母は苦労して名古屋市内に家を手に入れました。その家にいるのに、母は「帰りたい」と言うのです。
話を聞いてみると、母の帰りたい「家」は愛知県小牧市なのです。母はそこで幼少の頃を過ごしています。
認知症になって帰りたい家は、ローンを組んで買った家ではなくて、子どもの頃過ごした家なのです。母が帰りたい「家」にはもしかしたら、母の「お父さん」がいるのかも知れませんね。母の父、私の祖父は母が小学生の時に亡くなっています。あるいは、母は「お父さん」に会いたかったのかも知れません。「帰る」ことが出来れば「お父さん」に会えるかも知れないと思っていたのかも知れませんね。
私自身は、今まで10回以上引っ越しをしています。私が認知症になったとき、どの家に帰りたいと思うんでしょうね。私は小学生の時、古い小さな借家に住んでいました。雨が降ると雨漏りもしました。不動産価値に関係なく、あの家に帰りたいと言い出すのかも知れませんね。
English
イラスト by gttkscg
力道山(りきどうざん)とは、元力士でプロレスラーです。昔、大変な人気だったそうです。
私が子どもの頃も、その名残は残っていて、プロレスはゴールデンタイムに放送されていましたし、小学校でプロレスごっごも流行っていました。アニメやドラマでも戦いをメインにしたものが多かったです。
母は、私がそういう番組を見るのを嫌っていました。物事を腕力で決めるのは良くない事です。教育上、良くないですね。母は相撲さえ嫌っていました。しかし、昔からそうだったわけではないようなのです。
後に、母は認知症となり、若返っていきました。
どういうことかというと、名作舞台「ぬけがら」に描かれているような事です。2005年、佃典彦(つくだのりひこ)さんの作品で、戯曲も白水社から発売されています。岸田戯曲賞受賞。香港で映画化もされています。認知症を扱った、この作品の秀逸なアイディアは、高齢の父親が脱皮を繰り返し、若返っていくところです。舞台では、実際に次々と若い役者が入れ替わりで「父親」役を演じ、主人公と対話をします。佃さん自身、認知症の父親を介護した経験があり、芝居の内容も、かなり実際の経験を元にしているそうです。
アルツハーマー型認知症患者は若返ります。外見は変わりませんが、本人の記憶が若返ってしまうのです。
母はある時期、しきりと「小牧(こまき)に帰らなくてはいけない」と言っていました。母が名古屋市に住み始めたのは結婚後、かなりしてからで、若い頃は愛知県小牧市で暮らしていました。認知症の症状によって若返った母には、名古屋に住んでいる記憶はありません。彼女の家はいまだに小牧にあるのです。母は次々と若返っていきました。
子どものように駆けだして、骨折ばかりしていた頃もあります。身体は若返っていませんから、もちろん転んでしまうんですね。
それからかなりたって、トイレの介助が必要になった頃、母が歩く時に変なかけ声を出すようになりました。「力道山! 力道山!」と言っているのです。私が「力道山、好きなんですか?」と聞くと、「うん、大好き」と子どものように答えました。
何のことはない、母だって力道山に夢中になった時があったんです。
万が一の話ですが、私がこれから何か立派な事を言ったり、やったりするかも知れません。でも、最終的には認知症になって「マジンガーZ(ゼット)大好き!」とか言い出すんでしょうね。
「マジンガーZ」は主人公が巨大ロボットに乗って戦う最初の作品だそうです。それまで、ロボットは自立していたり、リモコンで操る物だったとか。後のロボットに乗る作品は全て、「マジンガーZ」の影響を受けているといっていいんですね。
最近のヒーローは巨大ロボットに乗ってくれませんね。
イラスト by miceking
一人暮らしの大叔母が他界した後、その家の後片付けをしたのは私です。片付けを始めて、すぐに手をつけたのはお風呂の修理でした。認知症だった大叔母は風呂場での事故をおそれて、お風呂を壊しておいたのです。貸すにしろ、売るにしろ、人が住める状態にした方がいいと判断しました。業者に依頼して修繕してもらい、40万円ほどの費用がかかりました。
せっかくお風呂を修理したのだから、入っておこうと、一度だけそこで風呂に入りました。旧式でしたが、いいお湯でしたよ。
大叔母は物持ちで、それらを丁寧に片付けるのに3年ぐらいかかりました。
協議の結果、その家は賃貸として貸し出す事にしました。ところが不動産業者も大工さんも、水回りは根本的にリノベーションした方がいいと主張しました。この数十年で水回りの技術は飛躍的に良くなっているそうです。そして借り手の方でも、水回りの環境で物件を選ぶのだといいます。結局、私が40万かけて修繕したお風呂は取り壊して、根本的に作り直す事になりました。
私が一度入っただけですからね。私はその一回の風呂のために40万円使った事になります。一風呂40万。
他の事に使えば良かった。
English
イラスト by DIJ