ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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コロナ前は毎週、母の入所する施設に面会に行っていました。
ある日、行ってみると施設ではビンゴ大会をやっていました。
私はこんなビンゴ大会を初めて見ました。誰も貪欲でないのです。
母の施設の入所者の多くが、認知症患者です。私の母に関しては、ほとんどコミュニケーションがとれなくなってから入所しました。母は、ビンゴの紙をテーブルに置いたまま、ボーっとしているのです。自分の番号が呼ばれても、反応できません。私が代わりにやりましたが、ビンゴになっても興味がないのです。そして参加者の半分くらいがそんな感じなのです。番号が決まるたび、施設の職員さんたちが、反応できない利用者の紙をチェックして回っていました。
施設の皆さんは利用者の世話だけでも大変なのに、こうしてイベントをやってくれていることに感謝しました。
認知症の人でも楽しめる。簡単なゲームはない物でしょうかね?
English
イラスト by RetroClipArt
認知症介護者の間では「ボケはじめが一番辛い」と言われています。母がアルツハイマー型認知症患者となり、私は14年同居介護するという体験をして、この言葉は本当だと感じています。皮肉なことに、むしろ病気が進行するごとに、家族介護者はだんだんと楽になっていくのです。
母の認知症初期に起こったこの一連の出来事を書こう思ったとき、少し気分が落ち込みました。当時のことは、今、思い出しても辛いのです。
認知症患者は、初期、とにかく物をなくします。なくして「ない、ない」と大騒ぎをするのです。ほとんど毎日です。この時期にはまだ認知症の診断が下っていなかったりしますから、周囲も一緒になって真面目に探すのです。その時間と労力は膨大な物です。
なくして困る物はたくさんありますが、困る物の一つのはカギです。
母は自分の仕事机の引き出しに、通帳などの重要書類をしまっていました。そのカギをなくすのです。私も最初は真面目に一緒に探していました。大体見つけられたのですが、どうしても見つけられず、解錠業者を呼んだことが何度もあります。当時は解錠業者を呼ぶと、二万円ぐらい取られました。大変な出費です。
しかも解錠業者はカギを開ける瞬間というのを見せてくれないのです。悪用されてはいけませんからね。カギを開ける瞬間になると、業者の人に「席を外してください」と言われて別室へ追い出されるのです。この秘密がわかれば、母がカギをなくしても問題ないのになぁと思っていました。
これも、通帳と同じ解決法で解決しました。私が合鍵を作っておいて、母がなくす度に、その合鍵を母が隠しそうな所に置いておいて、母自身に見つけさせるのです。こんな小芝居が必要なのは、私が疑われないようにするためです。
特殊なカギはそうもいきませんが、普通のカギなら、スペアキーは安く作れます。私はその引き出しのカギのスペアーを十本くらい作りました。
最近になって解錠業者の事をネットで調べたら、4000円くらいの業者もありました。カギをなくしても安心ですね。
English
イラスト by drawlab19
母は認知症になって携帯電話の使い方がわからなくなりました。
しかし、認知症の診断がおりて5年後ぐらいのこと、私は母に再び携帯電話を持たせることを決意しました。徘徊して行方不明にならないためです。
母は若い頃からの習慣で、お気に入りのカバンを持たないと外出しませんでした。このカバンに携帯電話を結びつけておけば携帯を持たせられると判断したのです。電話の数字などのボタンを全てガムテープで隠し。短縮ボタンに私の名前をマジックで書いて、押せるボタンを少なくして、持たせたのです。毎日訓練をしました。
「周二朗に電話してください」
と声をかけて、電話を持たせ、そのボタンを押させる訓練です。そのボタンさえ押せば私に電話がかけられるのです。
電話を受ける訓練もしました。私が物影から電話して、受ける訓練です。
認知症患者は新しいことを覚えるのが難しいと言われていますが、毎日の訓練の甲斐あって、母は、私への電話が出来るようになりました。これで、外で何かあっても、私に連絡が取れます。
結論からいうと、この一連の努力は全て無駄に終わりました。母が1人外出先にいるときにその携帯から私に電話があることはありませんでした。私もかけることがありませんでした。ヘルパーさんやデイサービスの方や、父、愛妻、本人、そして、運のおかげで、そういう状況が起こらなかったのです。
発明を思いつきました。認知症患者が電話で話す必要のある相手は少ないです。認知症の方専用の、ボタンが3つくらいしかない、そのボタンに名前と顔写真のある携帯電話を発売したらどうでしょう? 患者も介護者もすごく助かるんじゃないかなぁ。
English
イラスト by プリン
私が若い頃、夢中になって読んだマンガや小説には「覚醒する」という場面が多かったです。登場人物の秘められた力が「覚醒する」のです。追い詰められていた登場人物が、「覚醒して」一気に形勢逆転。敵を倒します。物語の醍醐味ですね。
私もいつか「覚醒」して、すごい自分になれるような気がしていました。しかし、残念ながら「覚醒」する事はなく、この年になってしまいました。
ところが、最近、この懐かしい「覚醒する」という言葉を目にしました。
アルツハイマー病の母に施設に入居してもらってしばらくの事です。コロナ禍で面会謝絶になるまでは、毎週訪問していました。母は呼びかければ返事が出来るほど調子がいいときもありました。しかし、もうろうとしていて、呼びかけても返事のないときもありました。
私が毎週、訪ねていって、何をするかというと、オムツやシャンプーなどの消耗品の補充と、ヘルパーさんが付けている介護日誌に目を通し、印鑑を押すことです。
この、介護日誌に「覚醒」という言葉が出てきました。「〇月〇日今日は覚醒しおられ、呼びかけに返事がありました。」というふうです。
本当は、私が「覚醒する」はずだったのに! お母さん! あなたが先に「覚醒する」とは!
私も将来、認知症になれば、「覚醒する」ようになるかも知れません。
人生はあきらめないことが大事ですね。
イラスト by 板垣雅也
2007年、母と大叔母がアルツハイマー型認知症と診断されました。私は母とは同居しており、大叔母は電車で1時間半離れた所で一人暮らしをしておりました。
私は自宅で母の介護をしながら、週に一度、大叔母の家にも行って、世話をしていました。
初期の認知症患者は、同じ話を繰り返しします。大叔母にはあまりありませんでしたが、母にはその症状が見られ、私は同じ話をうんざりするほど聞かされました。自分が話したことを忘れてしまって、また話してしまうんですね。
その頃は、大叔母も我が家に電話する能力が残っていて、私が世話をしに行った後に、母に電話をしてお礼を言っていたらしいです。
電話は何度も何度もかかったのかも知れません。その電話を受ける母も認知症ですから、何度も何度も受けたんでしょうね。
ある日、私が大叔母の家から帰宅すると母は、大叔母からお礼の電話があったと私に伝えてくれました。しばらくすると、母は同じ事を言って私を褒めました。
アルツハイマー病のいいところですね。何かいいことをすると、何度も何度も褒めてくれるし、何度も何度も感謝してくれるのです。褒められて悪い気のする人はいません。
認知症介護者は、つらい仕事をしているのに、褒められる機会が少ないです。母と大叔母が私に何度も感謝してくれたのは短い期間でしたが、それくらいの役得はあっていいですね。
English
イラスト by studiolaut