ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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栄(さかえ)は名古屋の繁華街です。我が家は名古屋市の端っこですが、栄まで一本で行けるバスがあります。一時間に一本しかありませんし、一時間かかりますがね。亡き父は生前、毎週、認知症の母を連れて、そのバスを利用して、栄へ行っていました。
父は難聴でしたし、メールも使えませんでしたが、携帯電話を持たせていました。父は電話で話すことは出来ませんでしたが、電話の操作の仕方がわかりました。母は電話の操作は理解できませんでしたが、耳は達者でした。父が電話を操作すれば、母と電話で話すことは出来ます。母は記憶できませんが、大声で電話の内容を父に伝えることは出来ました。夫婦協力すれば、携帯電話を使えたのです。一度、事故があったとき、事故の相手と、その電話で、直接、話したこともあります。使いこなせなくても、高齢者に携帯を持たせる意味はあります。位置情報を確認するサービスにも入っておりましたが、思いの外、これは一度も役に立ったことがありませんでした。
ある日の夕方、父の携帯を見ると、驚くべき記録が残っていました。
その携帯には万歩計の機能があるのですが、その万歩計に、4歩と出ていたのです。その日、父と母は、栄に行っているのです。バス停まで500mはあります。栄で買い物しているので、歩き回っているはずです。バスを使ったといっても、四歩で済むはずがありません。どういうことなのか?
父は歩行困難者でした。歩行困難といっても、杖は使っていませんでした。歩き方は、非常にゆっくりで、足を上げず、すり足のように歩きました。あまりにもゆっくりなので、万歩計が計測できなかったのです。
私もやってみましたが、万歩計に計測されずに歩くことは可能なのです。
私は名古屋市の中心部へ4歩の家に住んでいます。
新しい競技を思いつきました。スタートからゴールまで、万歩計に計測されない歩き方で、いかに早く歩くかという競技です。お年寄りから子どもまで一緒に楽しめるかもしれません。
English
イラスト by バドインターナショナル
私はお葬式で、お坊さんがお経を読む理由がよく分かりませんでした。お経は何を言っているのかわかりません。なぜ、大切な時に、訳のわからない事を聞かなくてはいけないのか、わかりませんでした。
2007年、同居していた母方の祖母が他界しました。この時、すでに母には認知症の症状が見られ、実質的に喪主をしたのは私でした。
喪主は初めての事で、戸惑う事も多かった上に、この時期、親族の間で争い事がありました。葬儀の席で、殴り合いが始まってもおかしくないほどの激しい争いでした。葬儀でケンカが始まっては、祖母がかわいそうです。ちゃんとした葬儀にふさわしい、立派な生涯を送った人です。
私は葬儀の段取りだけでなく、親族同士の間にも入りました。葬儀の前に、もめ事の本人同士それぞれに、式の間はこらえてくれるよう頭を下げました。
式当日、その本人同士は式そっちのけで、にらみ合っていました。私は、文字通り、もめ事の本人同士の間に仁王立ちになり、双方をにらみ返していました。「ここで暴れたら、タダじゃ済まさないぞ!」と心の中で叫んでいました。
やがて、和尚さんの読経が始まりました。無事にここまでたどり着いたのです。その仲の悪い親族達は、いくら何でも、和尚さんの読経中にケンカを始めるほど、常識のない人達ではないはずです。
気が緩みました。読経の間は、何もしなくてもいいし、何も考えなくていいのです。この時、祖母が死んで初めて、ポロポロ涙がこぼれました。本来葬儀は、こういう気持ちになるためのもののはずでした。
あいかわらず、和尚さんが何を言っているのかわかりませんでしたが、葬儀の間に、こういう時間があるのはいいですね。
身内の葬儀は戦場になりえます。和尚さん達には不本意でしょうが、読経はステキなインターバルですね。
English
イラストby はやし ろみ
子どもの頃のある日。私はテレビを観ていました。台所で母が夕飯の支度をしていました。ニュース番組で、アナウンサーが誰かの訃報を伝えました。私は見たことも聞いたこともない人でした。しかし、台所の母が「え?」と叫んで、テレビの前に駆けつけて、釘付けとなりました。あんなに動揺した母の姿を見るのは初めてでした。
私も年を重ねました。子どもの頃、憧れたヒーロー達が、次々と他界していく年となりました。思わぬ訃報に耳を疑い、テレビに釘付けになることもあります。
あの時、母をテレビに釘付けにしたのは誰だったのか思い出せませんが、母にとっては大きな存在だったんでしょうね。
延命長寿。長生きは素晴らしいけれども、それだけたくさんの訃報に接しなくてはいけないということでもありますね。訃報になるのも、訃報を聞くのもイヤだなぁ。
English
イラスト by しんたこ
私の祖父は母が子どもの頃に病気で他界しています。
当時小学1年生で、兄弟もいなかった母は寂しい思いをしていたんでしょうね。夜寝るときに、目に見えない何かが、布団の上に乗っているような気がしたのだそうです。「お父さんの幽霊かも知れない。でも怖い」毎晩続いたので祖母に相談したそうです。すると祖母はこう言ったそうです。
「今度それが来たら、すぐ私を呼びなさい。もし、お父さんだったら、言ってやりたいことがある。よくも、よくも、私と幼い子どもを置いて死んでくれたな! 無責任にも程がある! この上、娘の前に化けて出るとは何事か!」
それ以降、母は夜、寝るときに、布団の上に何かの気配を感じることはなくなったそうです。
祖父は祖母がよほど怖かったのかも知れませんね。
English
イラスト by ICIM
引っ越しするとき、引っ越し業者に、こんなことを言われました。
「お引越しゴミで、処分したいものがあれば、こちらで処分します。ただし『目のあるもの』の処分はお受けしかねます」
具体的には人形、写真類です。ぬいぐるみやアイドルのポスターでもダメとのことです。確かに引っ越し会社で働いている人の立場で考えれば、無理もないですね。よく知らない人の思いのこもった人形や、思い出の詰まった写真を処分するのは気が引けますからね。たとえそれが適当にとった写真でも、景品でもらったどうでもいい人形でも、他人には怖いかもしれません。
お子さんのいない大叔母が他界した後、その遺品を整理したのは私です。週に一度通って、二年くらいかけてやりました。リサイクルできるものはリサイクルして、可燃、不燃、缶、びん、ペットボトルきれいに分別して捨てました。
彼女の夫、私の大叔父の趣味は写真で、仕事も写真店経営でした。大量の写真が残っていました。私はそれらの処分を後回しにしていました。可燃袋に入れて捨てるだけの簡単な作業だと、あなどっていたのです。大叔父とは仲良しでしたから、たたられない自信もありました。しかし、うかつなことに、遺品整理も終盤にさしかかった頃、私は体調を崩し、長期入院生活をすることになりました。
空き家をほったらかしにするのは、よくありません。私は愛妻に、残りの遺品を業者に処分してもらうように頼みました。遺品の中には大量の写真があったのに…。
その業者はお寺から和尚さんを呼んで、経をあげてもらってから、それらの大量の写真を処分したそうです。和尚さんに支払ったお布施を惜しむわけではありませんが、私が最初にそれをやっておけば、簡単に済むことだったのに…。
引っ越しや遺品整理をするときに、本人や近親者が最初のうちにやっておいたほうがいいことの一つは、『目のある』ものを処分することかもしれませんね。それらは近い人の手で処理されるべきなのかも知れません。
English
イラスト by 和田正之