ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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やはり文豪と呼ばれる人の作品には触れておきたいですね。今まで何度も挑戦しています。しかし、明治の文豪だったりすると、使っている言葉が難しいです。当時の読者なら、当然だれでも知っているという事などを前提に書かれたりします。脚注の解説を見ればいいのですが、本文を読んだり、脚注を読んだりしていると、訳が分からなくなります。なかなか読破は難しいですね。
先日、とある明治の文豪の作品を読んでおりましたら、ある言葉に脚注がついていました。脚注を読むと「誤字と思われる」と書いてありました。
相手は明治の文豪ですからね。若い研究者では、おいそれとは誤字と判断できないのですね。
文豪になんてなるもんじゃありませんね。こそっとなおしておいてあげたらいいのに。誰でもしますよ、誤字くらい。
人間は、間違いを気やすく指摘してもらえないほどに、偉くなってはいけませんね。
イラスト by nature
母が小学生の時のある日の早朝の事。母は祖母にたたき起こされたそうです。祖母は窓を開けて、近くの紡績工場に出勤する工員さん達の姿を見せました。当時の工員さんの出勤時間は早かったのです。
「あの人たちはこんな朝早くに出勤しなくてはならない。私は学校の教員だから、この時間まで寝ていられる。それは私が一生懸命勉強したからです。あなたも一生懸命勉強しないと、早起きしなくてはいけいようになりますよ」
この教えの影響かどうかわかりませんが、母は地元の一流大学に進学します。あるいは、寝坊したいという不純な動機から勉強したのかも知れません。
私の父は地元新聞社の記者でした。明け方まで働いて、昼間眠るという生活を続けていました。
定年退職して、何を始めたかというと、早起きです。夜8時には床につき、明け方3時、4時に起床していました。近所の公園を散歩して、日の出を見るのが日課でした。父にとって、早起きは念願の贅沢だったのですね。
アルツハイマー病になった母の介護のため、同居していた私は、毎日のように深夜に起こされました。認知症患者と同居すると、まともに眠れなくなります。私は大学院まで行っていますから、祖母の理屈が正しければ、私が一番寝坊できるはずなんですがね。そうはなりませんでした。学歴と睡眠は関係ありません。
寝坊という贅沢。早起きという贅沢。どちらも深い楽しみのある贅沢です。
贅沢に寝起きするとはどんなことでしょう? 眠くなったら床について、誰にも邪魔されないで、たっぷり眠って、自然と目が覚めたら起きる。目覚ましなんてかけません。朝だろうと夜だろうと、関係ありません。二度寝、上等。体調と活動と環境に合った自然な睡眠リズムが生まれるかも知れません。
それが贅沢に寝起きするということではないでしょうか? そんな生活をしてみたいですね。
English
イラスト by BlueRingMedia
母が認知症になった後も、父は母を毎週、買い物に連れて行きました。父も介護が必要な状態でしたが、懸命に母の介護に参加してくれました。
父が毎回買ってくるものに、バナナがありました。私は、実はバナナがあまり好きではありません。食べられますけど、食べたいと思ったことがありません。父母も食べないので、毎回くさらせるばかりでした。
ある日、父が私に言いました「あんた、バナナ食べていいんだよ」
びっくりしました。父は私が遠慮してバナナを食べないのだと思っていたのです。
今はどうか知りませんが、昔は、遠足に持って行けるおやつの額が決まっていて、私の少し上の世代は「バナナはおやつに入るのか?」ということを真面目に議論していました。私はバナナに興味がないのでどうでもいいと考えています。
しかし、調べてみると、父の時代ではバナナは舶来の高級な貴重品だったのです。戦時中など一切、バナナは国内に入らなかった時期があるのです。露天でバナナのたたき売りがあったように、戦後の歴史はバナナの価値の暴落の歴史だったのです。
父としては、介護をがんばっている私に、ご褒美としてバナナを買ってやっているつもりだったのです。迷惑な。
仕方がないので、父の機嫌をとるために、私は好きでもないバナナを毎日食べていましたよ。被介護者の機嫌がいいか悪いかは、介護のあらゆる場面に影響を与えます。
同居介護というのは、こういう作業も含みます。
イラスト by おしょうゆ
母は認知症になって携帯電話の使い方がわからなくなりました。
しかし、認知症の診断がおりて5年後ぐらいのこと、私は母に再び携帯電話を持たせることを決意しました。徘徊して行方不明にならないためです。
母は若い頃からの習慣で、お気に入りのカバンを持たないと外出しませんでした。このカバンに携帯電話を結びつけておけば携帯を持たせられると判断したのです。電話の数字などのボタンを全てガムテープで隠し。短縮ボタンに私の名前をマジックで書いて、押せるボタンを少なくして、持たせたのです。毎日訓練をしました。
「周二朗に電話してください」
と声をかけて、電話を持たせ、そのボタンを押させる訓練です。そのボタンさえ押せば私に電話がかけられるのです。
電話を受ける訓練もしました。私が物影から電話して、受ける訓練です。
認知症患者は新しいことを覚えるのが難しいと言われていますが、毎日の訓練の甲斐あって、母は、私への電話が出来るようになりました。これで、外で何かあっても、私に連絡が取れます。
結論からいうと、この一連の努力は全て無駄に終わりました。母が1人外出先にいるときにその携帯から私に電話があることはありませんでした。私もかけることがありませんでした。ヘルパーさんやデイサービスの方や、父、愛妻、本人、そして、運のおかげで、そういう状況が起こらなかったのです。
発明を思いつきました。認知症患者が電話で話す必要のある相手は少ないです。認知症の方専用の、ボタンが3つくらいしかない、そのボタンに名前と顔写真のある携帯電話を発売したらどうでしょう? 患者も介護者もすごく助かるんじゃないかなぁ。
English
イラスト by プリン
私が若い頃、夢中になって読んだマンガや小説には「覚醒する」という場面が多かったです。登場人物の秘められた力が「覚醒する」のです。追い詰められていた登場人物が、「覚醒して」一気に形勢逆転。敵を倒します。物語の醍醐味ですね。
私もいつか「覚醒」して、すごい自分になれるような気がしていました。しかし、残念ながら「覚醒」する事はなく、この年になってしまいました。
ところが、最近、この懐かしい「覚醒する」という言葉を目にしました。
アルツハイマー病の母に施設に入居してもらってしばらくの事です。コロナ禍で面会謝絶になるまでは、毎週訪問していました。母は呼びかければ返事が出来るほど調子がいいときもありました。しかし、もうろうとしていて、呼びかけても返事のないときもありました。
私が毎週、訪ねていって、何をするかというと、オムツやシャンプーなどの消耗品の補充と、ヘルパーさんが付けている介護日誌に目を通し、印鑑を押すことです。
この、介護日誌に「覚醒」という言葉が出てきました。「〇月〇日今日は覚醒しおられ、呼びかけに返事がありました。」というふうです。
本当は、私が「覚醒する」はずだったのに! お母さん! あなたが先に「覚醒する」とは!
私も将来、認知症になれば、「覚醒する」ようになるかも知れません。
人生はあきらめないことが大事ですね。
イラスト by 板垣雅也