ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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最近忍者に関するちゃんとした本を読みました(「忍者の歴史」山田雄治著 平成28年 角川選書)。各地に残る古い忍術書を真面目に研究している本です。
忍術というと超人的な格闘術を思ってしまいがちですが、実際の忍者は敵地に潜入して諜報活動を行うのが中心だったようです。忍術書の中には「見つかったら戦わず逃げなさい」とはっきり書いてあるものもあるそうです。ここで敵を一人二人倒すより、情報を味方に伝えることのほうが重要だと。
その中に名づけるなら「忍法バカのふり」というのがありました。敵地に敵兵のふりをして潜入した場合、合言葉を求められる時があります。この合言葉は定期的に更新されるので、最新の合言葉を知らない時もあります。そういう場合「少しバカのふりをするとよい」と書いてあるそうです。
「合言葉はコロコロ変わる、少しバカなら、ついていけなくてもしかたがないなぁ」
と、親切な敵が新しい合言葉を教えてくれることもあるそうです。
忍者の現実とはそんな感じだったのかもしれませんね。
デジタル社会に生きる私たちも、やたらと色々な場面で合言葉、パスワードを求められます。四文字以上にしろとか、数字や記号を含めろとか、定期的に変えろとかうるさい。私は自分で決めたパスワードなのに、どうやっても思い出せない時があります。私は少しバカなんだなぁ。機械が相手では「忍法バカのふり」も通じませんね。現代社会には親切な敵はいないんですね。
イラスト by TopVectors
英語
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1988年、大学1年の時、夏、自転車で東日本を走る旅に出ました。東京で一夜を過ごし、次の目的地は茨城県、霞ヶ浦のユースホステル。
走っていると「反原発」と書かれたシャツを着て、私よりも大荷物を自転車に乗せて走っている人に追いつきました。面白そうな人なので、しばらくその人の後を付いて行ったのですが、この人のスピードがすごく遅い。ガマンできなくなり追い越して、日が暮れる前には目的地に着きました。
今はどうか知りませんが、当時の地方のユースホステルというのは旅人同士がワイワイおしゃべりしながら一夜を過ごすという感じのパラダイスで、その夜も楽しく話していました。
「お仕事は何ですか?」
誰かが1人の男性に聞きました。
「原子力発電所で働いています」
それを聞いて私はその日追い越した人のことを思い出しました。
「そういえば今日、反原発のシャツを着て自転車で走っている人を見ましたよ」
と話すとその男性、
「そういう意見もありますがね・・・」
と立て板に水、原発の必要性を説明し始めました。まぁみんなニコニコ聞いていましたよ。チェルノブイリの事故から2年後でしたが、遠い異国の話ですからね。
とっぷりと日も暮れて、みんな食事も終えて、お風呂も終え、くつろいでいると、ユースホステルのおばさんが困った顔でこう言いました。
「今日予約している人がまだ来ない。食事も片付けられないし、お風呂も抜けない」
「キャンセルじゃないですか?」とみんな言いましたが、おばさん
「東京の人で、今自転車でこちらに向かっていると電話があったんです。」
私もその日東京から自転車でここに着いたのですが、途中、旅行荷物を積んだ自転車はあの反原発のシャツを着た人しか追い抜いていないのです。
「もしかして、私が追い抜かした反原発の人じゃないですか?」
「そんなはずないよ」とみんな笑っていました。
しばらくして、問題の旅行者が到着しました。果たしてその旅行者のシャツには真っ赤な文字で「反原発」と書いてあったのです。
緊張したのは原発の職員。他の旅行者一同もびっくりしました。
反原発の人はとりあえず風呂に行き、私たちはどうしたモノか戸惑っていました。
口の達者な旅行者がふざけて、実況解説を始めたりしました。
「さぁ! 世紀の対決が目前に迫っております! 挑戦者は現在風呂から上がり、脱衣所で服を着ている模様! もちろんシャツには『反原発』! 原発職員どう迎え撃つか!」
ここへ来て原発職員の顔色も青くなり、声も小さくなってきました。
「私だってね、好きで原発に勤めているわけじゃないんですよ。それは私の仕事ですからね、仕方がないんですよ・・・」
反原発の人も風呂を終えて、みんなの輪に加わりました。彼の旅行プランは「反原発」のシャツを着て、東北各地の原発をすべて回るというものだそうです。みんな緊張して声も出ません。
私は18才、もちろん世間知らずの怖い物知らず。原発職員を指さしてこう言いました。
「この人、原発で働いてるんですよ!」
長い沈黙の後、反原発の人が言いました。
「そういう人のお話を伺いたかったんです!」
その後2人がどんな話をしたのか忘れましたが、結局ユースホステルの和気あいあいに戻りましたよ。
あれから30年。今ではあの原発職員も出世したでしょうし、あの反原発の人もその世界のリーダーになっているかも知れません。時は1988年。福島の事故が起こる、はるか前のお話しです。
今はもう、あんな風に和気あいあいと話したりできないんだろうぁ。
イラスト by kathygold
英語
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私はこの法則に自力で気づきました。認知症患者の立場になればわかることです。認知症患者はどうしても周囲の人を腹立たせることをしてしまいます。忘れるという事は大変失礼なことですから。しかし患者本人は自分が人を怒らせるようなことをしたという記憶がありません。認知症患者から言わせると「突然周囲の人が理由もなく怒鳴ったり殴ったりしてくる」という状況になるのです。身近な人ほど激しく怒鳴ったり、殴ったりしてくるのです。地獄です。記憶は残りませんが、怒鳴られたり殴られたりした怒りや恐怖の感情は残りますので、自分の身を守るため、認知症患者も怒鳴ったり殴ったりしてしまうわけです。
しかし、私はこの法則を声高に主張するつもりがないのです。認知症患者には個性があって、元々よく怒鳴る人、よく殴る人は認知症になってもよく怒鳴るし、よく殴るでしょう。また脳の萎縮の進み方も人によって違いますので、周囲がどんなに優しく接しても、怒鳴ったり殴ったりする人はいるはずです。
さらに、その法則が正しかったとしても、認知症患者と長時間接していて、一度も腹を立てないということは不可能に近い事です。積極的に介護に参加して、長時間患者と過ごした人ほど怒鳴ったり殴ったりしたい衝動に駆られる瞬間があるのは当たり前なのです。自分の生活を犠牲にして、必死に介護している人に向かって「この認知症患者の態度が悪いのは、お前達の介護の仕方が悪いからだ!」とは、私はとても言えません。
運がよかったのか、私たちの介護がよかったのかは不明ですが、母は穏やかに病気が進んでいます。10年前は怒鳴り合いの毎日でしたが、認知症の診断が下りて以降、私は母を怒鳴ったことも殴ったこともありません。でもそうしたいと思ったことは数え切れないほどありましたし、今でもあります。
私の愛妻は母と同居3年目。先日、愛妻が母と二人きりの時、母がとんでもないことをしようとしたので、思わず愛妻は声を荒げてしまったそうです。初めてのことでした。すると即座に母は怒鳴り返してきたそうです。普段、温厚な母が怒ったので、愛妻びっくりしたそうです。我が家の嫁姑バトルは超短期決戦の引き分けでした。「鏡の法則」は我が家では正しいかも知れません。
理屈は簡単ですが、実践は難しいです。
イラスト by photo2465
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私は車の免許を持っています。午年の年賀状のために馬にも乗ったので、馬の乗り方も知っています。しかしいまだに、エスカレーターの乗り方がわかりません。
私が大阪に移住する前の1993年以前は、少なくとも名古屋にはエスカレーターの片方を空けるという習慣はありませんでした。1994年に大阪へ移住して、そこで初めてエスカレーターの片側を空けるのだと知りました。2000年代に東京へ移住して、今度は大阪とは反対の方を空けて乗るのだと教えられました。その後名古屋に帰ってきたら、名古屋は東京ルールで片側を空けるようになっていました。
そして最近エスカレーターの回りには「エスカレーターを歩いて登らないで」と張り紙がしてあり、テレビでも「エスカレーターを歩いて登らないように」と注意しています。なんだ! 元々名古屋が正しかったんじゃん!
しかし実際名古屋のエスカレーターでは、いまだに片側を空けているし、歩いて上り下りする人も多いです。
どうすればいいの?