ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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私はお葬式で、お坊さんがお経を読む理由がよく分かりませんでした。お経は何を言っているのかわかりません。なぜ、大切な時に、訳のわからない事を聞かなくてはいけないのか、わかりませんでした。
2007年、同居していた母方の祖母が他界しました。この時、すでに母には認知症の症状が見られ、実質的に喪主をしたのは私でした。
喪主は初めての事で、戸惑う事も多かった上に、この時期、親族の間で争い事がありました。葬儀の席で、殴り合いが始まってもおかしくないほどの激しい争いでした。葬儀でケンカが始まっては、祖母がかわいそうです。ちゃんとした葬儀にふさわしい、立派な生涯を送った人です。
私は葬儀の段取りだけでなく、親族同士の間にも入りました。葬儀の前に、もめ事の本人同士それぞれに、式の間はこらえてくれるよう頭を下げました。
式当日、その本人同士は式そっちのけで、にらみ合っていました。私は、文字通り、もめ事の本人同士の間に仁王立ちになり、双方をにらみ返していました。「ここで暴れたら、タダじゃ済まさないぞ!」と心の中で叫んでいました。
やがて、和尚さんの読経が始まりました。無事にここまでたどり着いたのです。その仲の悪い親族達は、いくら何でも、和尚さんの読経中にケンカを始めるほど、常識のない人達ではないはずです。
気が緩みました。読経の間は、何もしなくてもいいし、何も考えなくていいのです。この時、祖母が死んで初めて、ポロポロ涙がこぼれました。本来葬儀は、こういう気持ちになるためのもののはずでした。
あいかわらず、和尚さんが何を言っているのかわかりませんでしたが、葬儀の間に、こういう時間があるのはいいですね。
身内の葬儀は戦場になりえます。和尚さん達には不本意でしょうが、読経はステキなインターバルですね。
English
イラストby はやし ろみ
子どもの頃のある日。私はテレビを観ていました。台所で母が夕飯の支度をしていました。ニュース番組で、アナウンサーが誰かの訃報を伝えました。私は見たことも聞いたこともない人でした。しかし、台所の母が「え?」と叫んで、テレビの前に駆けつけて、釘付けとなりました。あんなに動揺した母の姿を見るのは初めてでした。
私も年を重ねました。子どもの頃、憧れたヒーロー達が、次々と他界していく年となりました。思わぬ訃報に耳を疑い、テレビに釘付けになることもあります。
あの時、母をテレビに釘付けにしたのは誰だったのか思い出せませんが、母にとっては大きな存在だったんでしょうね。
延命長寿。長生きは素晴らしいけれども、それだけたくさんの訃報に接しなくてはいけないということでもありますね。訃報になるのも、訃報を聞くのもイヤだなぁ。
English
イラスト by しんたこ
私の親戚は、名古屋市中心部で眼科の開業医をしています。
私は同時に3人の老人の介護をしていました。お子さんのいない大叔母、同居する父母。老人は何かと健康上のトラブルが多いです。色々な病院に連れて行きました。3人分ですから、病院ばかりに行っていました。目のトラブルの時は、少し離れていますが、親戚の眼科を受診させていました。親戚の病院もうるおうし、私としては親戚に対して「ちゃんと介護していますよ」というアピールをするチャンスでした。
私は医院長の親戚ですからね、受付の人も看護師達も、すごくよく対応してくれるんですよ。仲良くなって、世間話もするようになりました。何年も、ひんぱんに通っていますからね。常連です。
あるとき、私もメガネを新調しようと思いました。その眼科で処方箋を書いてもらおうと思い、その旨、受付で話しました。診察の順番を待っていると、受付の人が青ざめてこう言いました。
「今、探してるんですけど・・・カルテが・・・ないんです」
医院長も出てきて大騒ぎ。「まさか紛失ですか?」「医院長の親戚の、しかも常連のカルテをなくすなんてダメじゃないですか」「カルテ紛失は大問題ですよ」「何をやっているのです」
ややあって、謎が解けました。カルテは初めからなかったのです。私はその病院に何年も通っていますが、いつもつきそいでした。私自身が患者として来たことは、一度もなかったのです。初診でした。受付の人も顔なじみの私が、まさか初診だとは思わなかったようです。そういえば、私も診察券を持っていませんでした。
初診忘るべからず。
イラスト by アロアロウイ
私の祖父は母が子どもの頃に病気で他界しています。
当時小学1年生で、兄弟もいなかった母は寂しい思いをしていたんでしょうね。夜寝るときに、目に見えない何かが、布団の上に乗っているような気がしたのだそうです。「お父さんの幽霊かも知れない。でも怖い」毎晩続いたので祖母に相談したそうです。すると祖母はこう言ったそうです。
「今度それが来たら、すぐ私を呼びなさい。もし、お父さんだったら、言ってやりたいことがある。よくも、よくも、私と幼い子どもを置いて死んでくれたな! 無責任にも程がある! この上、娘の前に化けて出るとは何事か!」
それ以降、母は夜、寝るときに、布団の上に何かの気配を感じることはなくなったそうです。
祖父は祖母がよほど怖かったのかも知れませんね。
English
イラスト by ICIM
学生の時、ショッピングセンターの改装のバイトをした事があります。日給8000円ぐらいだったでしょうか?
あるとき、大変なことが起こりました。誰かが、養生テープを貼らなくてはならないところに、剥がれにくい特殊なテープを貼ってしまったのです。誰のミスか知りませんが、きっと働き者だったのでしょう。大量に貼られてしまいました。剥がそうと思っても、簡単には剥がれません。引っ張ってもボロボロと破れてしまうだけです。金具でごしごし削って、やっと剥がれるのです。
社員もバイトも全員でそのテープ剥がしをやりました。改装のためにそのショッピングセンターは一日休業でしたが、明日の朝には開店しなくてはなりません。
定時になったので帰ろうとしたら、社員さんに頼まれました。
「時給1500円出すから残ってくれ」
実は、私はその前日に徹夜をしていました。もう帰って寝たかったのですが、時給1500円の魅力には勝てません。残りました。
深夜1時を過ぎました。流石にふらふらになったので、帰ろうとしたら、社員の方が言いました。
「時給2000円、いや3000円出すから朝までいてくれ!」
でも眠い。健康第一です。魅力的な提案に、背を向けて、振り切るように駐車場に向かいました。そのショッピングセンターにはバイクで来ていたのです。
バイクに乗り、エンジンをかけて、出口に向かって、はじめて気付いたのです。深夜ですから、駐車場の出口にチェーンがかけられていて、バイクでは出られないのです。
チェーンの高さは膝ぐらい。当時の私の愛車は世界の名車スーパ・カブでした。郵便局員が乗っている原付です。がんばれば、持ち上げて、出られるような気がしました。しかし、バイクというのは、実際に持ち上げてみると重い。何度も挑戦しましたが、なかなか出られません。深夜ですから、電車も動いていません。バイクがなければ帰れません。今更、戻って、時給3000円をもらって働くのもシャクです。結果として私は、時給3000円の床をこするだけの軽労働を断って、時給0円のバイクを持ち上げる重労働をしていたのです。何時間もがんばっていたら、外からトラックが来ました。朝の仕入れの時間になったのです。朝! トラックの運転手が、チェーンを外してくれました。何のことだ!
今から思い返すと、時給3000円もおしいけど、二日間徹夜しているのにバイクを持ち上げようと考える若さがおしいです。もう二日間徹夜とか、そもそもムリです。バイクを持ち上げよういう気力もない。
過去の若くてバカな自分から、若さを借りられない物かなぁ。
English
イラスト by tele52