ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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一年だけ、東京で暮らした事があります。
ある日、懸賞で焼き肉お食事券3000円が当たりました。銀座のお店です。ルームシェアしていたプログラマーと一緒に食べに行こうという事になりました。私は名古屋育ちですから、銀座がどういう所か知らなかったんですね。名古屋の感覚でいますから、お食事券3000円、追加で、二人それぞれ少しずつ払えば、そこそこ、焼き肉を楽しめるのだと思っていました。そのプログラマーも、関東の出身でしたが、東京の人ではなかったので、それくらいの感覚でいたのです。
店に入って、メニューの金額を見て、腰を抜かしました。飲み物と、焼き肉二皿も頼めば、予定していた予算を上回ってしまうんです。
「うまい話はない」と、焼き肉を二皿だけ頼みました。それだけ食べて帰ろうと。
運ばれてきたのは、二皿は二皿だけど、お肉は薄っぺらいのが数枚程のっているだけなのです。しかも、凍ったままなんですよ。しかも、そんなに美味しくない。
満腹にはほど遠い状態でレジに向かいました。伝票を店員に渡すと、伝票を見た店員がずっこけていました。金額が安すぎてびっくりしたんでしょうね。
帰りに、その店の近くのラーメン屋に入ってラーメンを食べました。ネギが入れ放題でした。安かったし、すごく美味しかったです。
東京の物価ってどうなってるの? こういうエキサイティングな体験が絶えないから、東京には人が集まるんだろうなぁ。
また、東京に遊びに行きたいですね!
イラスト by マツ
私の愛妻の妹はイギリスに嫁いでいます。旦那はイギリス人。だから私の義弟はイギリス紳士なのです。
あれは,私と愛妻がまだ交際中だった頃、家族に紹介するということで、愛妻のご両親、訪日していた妹夫婦で、日帰りバス旅行に行くことになりました。義弟、義妹とは初対面でした。私は多少英語がしゃべれるので、義弟と流ちょうな英語で話し、ご両親への点数を上げて、愛妻にいいところを見せてやろうと企んでいました。
早朝、バスターミナルで集合し、初対面した義弟としばらく英語で話しました。私が勉強したのはアメリカ英語、義弟のイギリス英語とはだいぶ違いますが、何とか話は通じました。ドヤ顔でバスに乗り込みました。
愛妻も後からバスに乗り込んできて、私の隣の席に座る直前に私の耳元でささやきました。私はステキな愛のささやきを期待していました。しかし、愛妻はこう言ったのです。
「あんた鼻毛出てるよ」
英語がしゃべれるとか、しゃべれないとか以前に、人と会うときは気をつけなくてはいけないことがたくさんありますね。
English
イラスト by watcartoon
大学生の時、私はほとんど大学には行かないで芝居ばかりやっていました。
ある夕方、地下鉄の駅で偶然、以前、芝居で知り合った若い女性と鉢合わせました。大変な美人です。偶然の再会に、駅のホームでおしゃべりが盛り上がりました。間もなく電車が来るという頃、彼女は私に聞こえるくらいの声で独り言を言いました。
「ああ、お腹空いた」
時間はまさにディナータイム。素晴らしい展開ですね。ここで私がスマートに食事に誘っていれば、別の人生があったかも知れません。
「ああ! サンドイッチあるよ」
あろう事か! 私はお昼に食べ残したサンドイッチをリュックから出して、彼女に差し出したのです。彼女大爆笑でした。
当時の私はこの大爆笑の意味が分かりませんでした。
(楽しみにとっておいたサンドイッチをあげようというのに、何を笑っているのだ?)
彼女は大人で、私の差し出したサンドイッチをニコニコ食べてくれましたよ。あのときもう少し賢かったら! でも、ダメなのです。私は大変な貧乏だったのです。当時、多分財布をひっくり返しても、千円も持っていなかったのです。彼女のサインに気づいていたとしても、とても彼女を食事に誘えませんでした。
青春は失敗だらけですね。
English
イラスト by takagix
1988年。当時ロードレースタイプの自転車に凝っていた私は、転んで病院に運ばれました。
頭を打っていたので、MRIの検査を受けました。生まれて初めてのことです。なんだか録音スタジオのようで、金魚鉢の向こうで医者が操作し、私はかまぼこ板のようなモノに乗せられて、巨大な機械の中に入れられました。
ところが、この検査がなかなか終わりません。ふと金魚鉢の中を見ると、さっきまで1人しかいなかった医者が3人になっていて、難しい顔で議論しています。あれ? そんなに重症なのかな? 不安な気持ちで待っていましたが、全然検査が終わりません。もう一度金魚鉢を見ると、今度は6人の医者が大議論の真っ最中。時々声が漏れてきます。
「私たちではどうしようもない…」
ああ! 死ぬんだ。その病院はかなり大きな総合病院。そこの医者が6人集まって「どうしようもない」のでは仕方がありません。この時まだ18歳。短い人生だった。泣きながら残酷な運命が告げられるのを待ちました。
しばらくして医者の一人が金魚鉢から出てきました。
「すみません。機械が壊れたので、もう少し待っていてください」
ああ! MRIの機械が壊れたのか。それは医者が何人集まっても「どうしようもない」ですね。
1週間ほどで退院しました。
English
写真 by Zinkevych
1996年5月、当時大阪の院生だった私は、とある学会のお手伝いで受付をやりました。学会の受付というのは芝居の受付に比べると、かなり楽です。チケットもありませんし、現金のやりとりがありません。学会に参加される方の名簿があって、いらっしゃった方のお名前をうかがって、マークをつけるだけです。
ところで、この日、一緒に受付をした隣の女性が大変な美女でした。どうやら学部生(大学生)のようです。学部生でありながら、学会の受付をするなんていうことは、ゼミの中心人物とか、若くして研究者を志しているとか、才色兼備に違いありません。おしゃべりなタイプではなくて、黙々と受付をしていました。美女の前では緊張して話が出来なくなる私は、なんとか話しかけるきっかけはないかと色々考えておりました。名簿をぼんやり見ていると、出席予定者のうちに一人、読み方のわからない苗字の方がみえました。
この人の苗字の読み方を聞いてみようかしら? 大変珍しい苗字で、初見で読める人はまずいないだろうという苗字です。そもそも四文字の苗字なんて初めて見ました。おそらく彼女にも読めないでしょう。何でもすぐに検索できる時代ではありませんでした。二人でああでもないこうでもないと話し合ううちにお近づきになれるかもしれません。
意を決して彼女に聞いてみました。
「この方の苗字なんて読むんですかねぇ?」
ところが彼女はその名前を見るなり
「それは私がやります」
とそっけない。沈黙が戻りました。
彼女のそのリアクションの意味がその場ではわかりませんでした。院生の私が読めなかったその苗字を、学部生の彼女が一瞬で読み解いたというのは解ります。才色兼備は確定。しかし私に正解を教えてくれないというのはどういうわけでしょう。この一瞬で私に下心があるのと見抜いたのでしょうか? 才色兼備を通り越してエスパーです。私の口臭がきつかった? いろいろ悩みましたが、結局その日は彼女のリアクションの謎は解けませんでした。
後日、彼女のリアクションの意味が理解できました。私が読み方がわからなくて指さした難しい苗字の方こそ、誰あろう彼女のお父さんだったのです。彼女は独身でしたから、もちろん彼女の苗字でもあります。彼女はお父さんの縁で学会の受付を手伝っていたんですね。しかも、もっと恥ずかしいことに、お父さんはその世界では大変有名な大先生だったのです。
院生でありながら、高名な先生のお名前も読めず、あろうことか、そのお嬢さん本人に読み方を聞くとは!
そのお嬢さんとはそれっきり。校内で時々お姿を拝見しましたが、恥ずかしくて声をかけられませんでした。
その先生、この後、もっともっと有名になって、今でも時々マジメなテレビ番組などにご出演なさっています。
あの時、頑張って会話を続けていれば、あるいはこの人を「お義父さん」と呼んでいたかもしれないのになぁ。
English
写真 by xiangtao