ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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2017年のことです。ある演劇のイベントで香港の学生と話す機会がありました。
かつて、中華文化圏の人と話す時の魔法の話題がありました。金庸(きんよう)です。小説家、金庸の名作「射鵰(しゃちょう)英雄伝」は何度も映像化され、中国人ならだれでも知っているといわれたものです。私は日本語訳を読みましたし、映像作品も字幕で見ています。
得意げに金庸の話をしようと思いました。ところが彼女は「射鵰英雄伝」は名前は知っているけど、読んだことも見たこともないと言いました。
そして私にこう言いました。
「私は日本の『鋼の錬金術師』が大好きです。その話をしましょう」
困りました。これは、私も、名前は知っているけど読んだことも見たこともない作品です。私よりも若い人向きの作品だと思っていました。
慌てて、「鋼の錬金術師」を読みました。名作です。名作に世代は関係ありません。
昔、私の先生が言っていました。
「国際的な活動をしたいなら、まず自分の国のことをよく知らなくてはいけない」
その通りです。
これからは、新しい日本のマンガやアニメやゲームなども勉強して、恥をかかないようにします。
楽しいじゃん!
イラスト by drawlab19
English
三国志の劉備玄徳は優秀な人でしたが、戦国の世、優秀な人はライバルに殺されるかもしれませんでした。ライバルの目を欺くため、ある時期、彼はわざと鼻毛を出して生活していたそうです。優秀な人は大変ですね。
私が三十代の時でした。役者として、ある芝居のけいこをしていました。私はそのメンバーで最年長でした。若い演劇人たちは、それとなく気を使ってくれていました。最近の若い演劇人は、礼儀正しくて優しいなぁと思っておりました。
ある日のけいこの休憩時間、私はトイレの鏡を見て愕然としました。鼻毛がすごい勢いで出ていたのです。今気が付いたということは、けいこの間中、ずっと出ていたのです。あのかっこいいセリフもあの美しいセリフもずっと鼻毛を出したまま言っていたのです。
けいこ場に戻って、みんなに言いました。
「ひどいじゃないか! 鼻毛が出ているなら、出ていると教えてくれたらいいのに!」
すると、私の次に年齢の高い役者がこう答えました。
「いや~、わざと出してるのかと思いまして・・・」
「私は劉備玄徳か!」
目上の人の鼻毛が出ていたとしたら、確かに指摘しづらいですね。
しかしみなさん、もし私に会った時、私の鼻毛が出ていたら、どうかそっと教えてください! 私はライバルに命を狙われるほど優秀な人物ではないのです。
いくら命のためとはいえ、毎日鼻毛を出したまま生活するのは大変なことですよ。劉備玄徳、偉大な人だなぁ。
イラスト by moj0j0
English
私の知っている演劇人で、演劇だけで生活費を稼いでいる人は少ないです。特に役者はそうです。だいたいみんな、生活のための仕事を持っています。
私の知っている演劇人で、昼間は一流企業のサラリーマンとして働いている女性がいます。私の知っている彼女は、いつも微笑んでいて、物腰の柔らかい人です。
ある平日の昼間、彼女を見かけました。彼女はスーツ姿でキメていました。地下鉄車内で書類を読んでいました。私は声をかけようと思って、近づきました。
しかし、声をかけられませんでした。鬼のような顔で書類をにらんでいたからです。仕事の邪魔をしてはいけませんし、怖かった。
一流企業でフルタイムで働きながら、演劇をするというのは、並大抵のことではありません。仕事の間は、鬼のように集中しているんですね。
その後、演劇にまつわる集まりで、彼女に再会しました。いつもの優しい笑顔でした。彼女の笑顔が大変価値あるもののように思われました。私は地下鉄の中で彼女を見かけたことを言いませんでした。
優しい笑顔でいるためには、鬼のような顔にならなければならない時があるんですね。
English
イラスト by a.otsuka
美容関係の会社のイベントに役者として出演したことがあります。ディレクターの意向で、役者は全て、顔が完全に隠れる仮面をつけての出演でした。
イベントが始まるまでの時間、会場には、フランスの名ピアニスト、リチャード・クレーダーマンのCDを流しておこうという事になりました。舞台の上にはグランドピアノがありました。ディレクターが思いつきで、「君、ピアノの前で、ピアノを弾いているフリをしていてよ」と私に言いました。
私はピアノを弾けませんが、役者ですからね。さも、弾いているような演技は出来るんですよ。会場にはご馳走も用意してありました。美容業界は景気がよかったのです。開場して、しばらく演技を続けていると、数人のお客さんが、ご馳走を無視して、私を見つめているのに気付きました。ひそひそとささやき合っているのです。
「あの人、うまい!」
客席からは私の手元は見えないようになっていたのです。私が本当にピアノを弾いていると勘違いしてしまったんですね。実際はピアノには触ってもいません。
上手いはずですよ、音を鳴らしているのは、リチャード・クレーダーマン本人ですからね。大変な勘違いをしているようなのです。リチャード・クレーダーマンと同等の演奏が出来る人が、こんな地方の小さなイベントで、仮面をつけてピアノを弾いているなんて! 彼女たちは、私の仮面の下に、悲劇の天才ピアニストの素顔を想像していたのかも知れません。
そのプレッシャーに耐えられなくなりました。騒ぎが大きくなったりしたら、イベントそのものに影響しかねません。
ディレクターの指示に反しますが、私は、わざと演技をずらして「私は弾いていませんよ!」というアピールをしました。
「なぁんだ」
という声が返ってきました。人だかりはご馳走の方へ行きました。役者として、お客さんの後ろ姿を見るのはつらかったですが、ご馳走の方は本物です。
イベントの後、ディレクターには「やっぱり、バレちゃいました」と報告しました。彼も「だろうな」と笑っていました。
役者はお客さんに、そういう勘違いをさせてはいけないのです。
English
イラスト by grandfailure
クラッシック・コンサートなどでは、演奏が終わり、出演者が去った後も拍手が鳴り止まず、出演者が再登場という事があります。演劇の世界では、これをダブルコールというそうです。
私が関わったような小劇場の演劇では、ダブルコールは、ほとんどなく、出演者が去って、観客が拍手を終えれば、もう公演はおしまいです。出演者がダブルコールに備えて、準備をするということは、まずありません。ただ一度だけ、ダブルコールの現場に役者として、居合わせたことがあります。
その日は出演者もスタッフもみんな調子が良かったのです。観客のノリも良く、大きなミスもなく、劇場が一体になったような最高の公演でした。
私達のようなマイナーな演劇公演では「客出し」という習慣があります。出演者が劇場のロビーで、お帰りになるお客様を見送るのです。その時、見に来てくれた友達や家族にお礼が言えます。知らないお客さんに褒められたりすることもあります。
その日は最高の公演でしたからね。私は早くお客様達に、お礼が言いたくて、ロビーに走って行きました。ロビーにはすでに、その公演の演出家がいました。私達は何も言葉を交わしませんでしたが、笑顔でアイコンタクトしました。今夜の公演は最高だったとお互いわかっていたのです。こういう時、言葉は要りませんね。
演出家と並んで、お客さんが出てくるのを待っていました。最高の瞬間でした。
しかし、お客さんが出てこないのです。ありえないくらい長い時間、私と演出家で、お客さんを待っていました。「どうなっているのだ?」待ちきれず、客席のドアを開けて中をのぞいてみました。
中は、割れんばかりの拍手の渦。私以外の出演者達が、舞台の上で、それに応えているのです。
ダブルコールだ!
自然発生的にダブルコールが生まれたのです。そんなことがあろうとは! 慌てて、舞台に戻ろうとしましたが、もうダブルコールは終わるところでした。私はダブルコールを逃した唯一の出演者でした。こうして、私は、おそらく、生涯のうちで、ダブルコールを受ける唯一のチャンスを逃したのです。
あわてる役者はもらいが少ない。
English
イラスト by mounel