ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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私は物心ついたころから父方の祖母と同居していました。
祖母が他界したのは、私が中学生の時でした。私の父は兄弟姉妹が多かったのですが、祖母の介護をめぐって、不仲になった人もいて、葬儀で初めて会う人もいました。
火葬場の待合室で、父の兄弟は長男を上座に、順に座りました。父は四男です。
私は大変なことを発見したのです。父の兄弟は、父と同じようにハゲていて、順に並ぶと、きれいなグラデーションになっていたのです。並べてみるとよくわかります。「だんだんこうなっていくのか」。父の頭髪の過去と未来を見るようでした。
その時、火葬場のアナウンスがありました。
「臼井家様。臼井家様。ご収骨です」
私は中学生。人が死ぬということがよくわかっていません。このアナウンスがツボにはまりました。(ウチのことかな?)
さすがにもう中学生。火葬場で大爆笑してはいけないことは、わかっておりましたので、必死にこらえておりました。
火葬場から帰って、我が家で精進落とし。台所に集まっていた親戚の女性陣に、この話を披露しました。大爆笑でした。
火葬場から帰った後は、残された人たちが大爆笑できるくらいの長生き人生がいいですね。
ハゲるも、死ぬも、明日は我が身。
イラストby nishiya_hisa
私の亡き大叔父は趣味に生きた人でした。模型飛行機をやっていました。自分で飛行機を設計して、木材から加工して組み立てて、プロペラをつけて、河原で飛ばすという趣味です。同じ趣味の仲間たちがいて、大叔父はその世界では有名な人だったらしいです。
大叔父と話していて、びっくりしたことがあります。そんなに飛行機が好きなのなら、飛行機に乗るのも好きだろうと、私は思っていました。ところが、大叔父は、人生において、飛行機に乗ったのは一度きりしかないそうなのです。大叔父は言いました。
「あんな恐ろしい物、よう乗らん」
ドローンをはじめ、最近の模型飛行機などはコンピューター制御で安全に飛ぶのでしょうが、大叔父はアナログに生きた世代です。丹精込めて作った機体が、いとも簡単に墜落する現場に、何度も居合わせたのでしょう。飛行機が怖くて仕方がないのですね。
私たちが平気で飛行機に乗れるのは、私たちが飛行機に詳しくないからかもしれません。
English
イラストby TopVectors
母が小学生の時のある日の早朝の事。母は祖母にたたき起こされたそうです。祖母は窓を開けて、近くの紡績工場に出勤する工員さん達の姿を見せました。当時の工員さんの出勤時間は早かったのです。
「あの人たちはこんな朝早くに出勤しなくてはならない。私は学校の教員だから、この時間まで寝ていられる。それは私が一生懸命勉強したからです。あなたも一生懸命勉強しないと、早起きしなくてはいけいようになりますよ」
この教えの影響かどうかわかりませんが、母は地元の一流大学に進学します。あるいは、寝坊したいという不純な動機から勉強したのかも知れません。
私の父は地元新聞社の記者でした。明け方まで働いて、昼間眠るという生活を続けていました。
定年退職して、何を始めたかというと、早起きです。夜8時には床につき、明け方3時、4時に起床していました。近所の公園を散歩して、日の出を見るのが日課でした。父にとって、早起きは念願の贅沢だったのですね。
アルツハイマー病になった母の介護のため、同居していた私は、毎日のように深夜に起こされました。認知症患者と同居すると、まともに眠れなくなります。私は大学院まで行っていますから、祖母の理屈が正しければ、私が一番寝坊できるはずなんですがね。そうはなりませんでした。学歴と睡眠は関係ありません。
寝坊という贅沢。早起きという贅沢。どちらも深い楽しみのある贅沢です。
贅沢に寝起きするとはどんなことでしょう? 眠くなったら床について、誰にも邪魔されないで、たっぷり眠って、自然と目が覚めたら起きる。目覚ましなんてかけません。朝だろうと夜だろうと、関係ありません。二度寝、上等。体調と活動と環境に合った自然な睡眠リズムが生まれるかも知れません。
それが贅沢に寝起きするということではないでしょうか? そんな生活をしてみたいですね。
English
イラスト by BlueRingMedia
これは元気だった頃の母から聞いた話です。
私の大叔母は愛知県で最初の女性医学博士でした。第二次世界大戦中、名古屋市内の総合病院で働いていたそうです。
空襲の後、病院は大変なことになっていたそうです。
医師も看護師も不眠不休だったのでしょう。
ある日、大叔母は医院長からこう言われます。
「医師にも休みは必要だ」
休暇を出されて、母の家に来たそうです。
七輪でお餅を焼き始めました。
大叔母は
「まちきれん」
と、おもちの焼けたところからはがして食べ始めたそうです。当時、小学校に上がるか上がらないかの頃の母は、大叔母のことを「少しバカなのかな?」と思ったそうです。
私はこの話を子どもの頃に聞きましたが、大人になって、その意味がわかるようになりました。
空襲の後の病院の医師。この不眠不休は、ただの不眠不休ではありません。自分が寝ている間に、食事をしている間に、トイレに行っている間に、次々と人が死ぬかも知れないという不眠不休です。
その姿を見ている医院長が、医師に休暇を出すというのは大変な決断です。休暇を出すことによって死ぬ人もいるからです。しかし、ここで医師が倒れてしまったら、何百という人の命に関わります。鬼のような仏の判断です。
大叔母は休暇で祖母の元を訪れ、姪っ子である母のあどけない姿を見て、急に自分が飢餓状態にあることを思い出したのですね。お餅が焼けるまで待ちきれなかったのです。
医療関係者がゆとりある勤務態勢を維持できるといいですね。最低、休暇の日、お餅が焼き上がるまで、待てるくらいのゆとりは欲しいですね。
イラスト by マイザ