ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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PCゲーム会社に住み込みで働いていたことがあります。
あるゲームの制作中、ディレクターがある声優の声に満足できなくなり、別の声優を選んで、後からその人だけ録音し直しました。ディレクターは収録には立ち会わず、できあがった音声を聞いて驚きました。
「あの声優さん、オーディションではあんなに上手かったのに、収録ではなぜこんなに下手なんだ?」
私もその音声を聞きました。私も演技経験者ですから、その声優さんの不自然な演技を変に思いました。ただし、この声優さんは決して下手ではないこともわかりました。上手とか下手とかいう問題ではなくて、この人には重要な情報が渡されていないのではないかと疑ったのです。私はこの謎を解くため、ディレクターに聞きました。
「この声優さんに渡した台本ってありますか?」
その台本を読んで、謎が解けました。
その台本は、その声優さんのセリフだけ抜き出してプリントアウトされていました。しかも、そのセリフの順番は、あいうえお順になっていたのです。最初のセリフは「あ」次のセリフは「ああ」・・・。
私の読者には演劇関係者が多いので、ここまで書けば、そのゲーム会社がどういう失敗をしたのか、わかる人も多いですね。
ゲーム会社としては、他の役の音声はそろっているし、台本は、その役のセリフだけプリントアウトすれば大丈夫だと思ったんですね。効率化です。あいうえお順になっていたのは、単純にミスです。私は台本をエクセルで書く人を演劇界では知りませんが、ゲーム界には、加工しやすいという理由で、エクセルで書く人も多いのです。エクセルにはワンクリックで、すべてを、あいうえお順にできる機能があるのです。声優さんに渡す前に、誰かがうっかり、そのボタンを押してしまったのですね。
役者は文字を音声にする機械ではありません。物語の状況、相手のセリフ、役の関係、それらを考慮して、そのリアクションとして演技をするのです。どんなに短いセリフでも、相手のセリフがわからなければ、演技のしようがないのです。セリフは相手役に「かける」のです。役者は相手役のセリフを「受ける」のです。演劇人にとっては常識です。
そのゲーム会社の人は演技の経験がなかったので、そんな事もわからなかったのですね。例え、収録が終わっていたとしても、相手役のセリフは台本に書いておかなくてはいけませんでした。あるいは他の声優さんのセリフを聞かせる必要がありました。セリフをあいうえお順にするなど、もってのほかです。自分で読んでみろ!
その声優さんはその台本を受け取った瞬間に、こう言うべきでした。
「この台本はおかしい。こんな台本では演技できない」
しかし、こんな事が言えるのは、よほど経験と実績のある声優さんだけで、若い声優さんは、渡された台本で必死にやるしかなかったのですね。気の毒に。
演劇の世界を離れて感じるのは、一般の人の演劇的教養の低さです。特殊詐欺に多くの人が引っかかるのも、演劇的教養が低いせいだと思いますよ。演技について何も知らないから、チンピラの安っぽい演技にまんまと引っかかるのです。
義務教育の一環として、誰もが一度は演技の経験を持つ機会があればいいのになぁ。
English
イラスト by Nature
二十歳の時、どういう基準で選ばれたのかわかりませんが、私は成人式の代表のスピーチに選ばれました。
当時、携帯電話は、まだ、普及していませんでしたので、その依頼は我が家の電話にかっかってきました。私は不在でした。電話に出た母は、その場で、その依頼を断りました。
母の主張はこうです。
「息子はまだ学生にすぎない。成人式のスピーチは、すでに社会人として働いている人がやるべきです。他をあたってください」
私は成人式でスピーチをすることに興味がなかったので、気にしませんでしたが、これは正しいことではありません。
母に、いかなる主張があろうとも、同居する成人に正式に来た依頼に、家人が勝手に答えることはできません。母は、その場で返答せず、私の帰宅を待って、私に伝えるべきだったのです。その時に、自分の意見を添えるのは自由です。成人式を迎える息子、本人に決断させるべきでした。
成人式当日、私の代わりに、私の親友でもあるA君が、スピーチをしました。実は、私はA君のスピーチを楽しみにしていました。私より適任です。彼も学生でしたが、私と違って、国立大学に通う優等生で、人望もあり、ユーモアのセンスもある好人物。彼が小学校の生徒会選挙でした、奇抜なスピーチは、今も忘れられません。
ところが、A君、ずっと交通安全の話ばかりしているのです。しかも楽しそうじゃない。何が起こったのだ?
式後、A君に直接話を聞くと、A君の書いたスピーチの原稿は、何度も警察によって修正されたのだそうです。結果として、交通安全の話ばかりになってしまったのです。
愛知県は交通死亡事故のワースト県でした。今も上位です。悲惨な交通事故に接することの多い警察の人が、新成人に安全運転を呼びかけたい理由はわかります。しかし、成人のスピーチの内容を無理矢理、修正する権限は、誰にもないのです。
正しければ何をやってもいいというものではありません。
私も年をとりました。こうあるべき、こうすべき、と思うこともたくさんあります。でも、その大きな正義で、小さな正義を踏みつぶしたりしないよう、気をつけようと思います。
English
イラスト by osame
九州周遊旅行の折、宮崎県に立ち寄りました。
土産店の売り子さんが、ういろうを売っていました。かけ声はこうです。
「宮崎のういろうですよ~ 名古屋のういろうよりも美味しいですよ~」
なりません。名古屋人として、聞き捨てが!
まんまと買いましたよ。まんまと食べましたよ。そして衝撃的なことに! 一般的な名古屋のういろうよりも美味しかったのです!
しかし、名古屋人として簡単に敗北は認められません。
この戦いはフェアじゃない。
その店のういろうの賞味期限は要冷蔵で3日。
名古屋で一般的に売られている代表的なういろうは常温で賞味期限が一ヶ月ぐらいあるのです。
大須だって、青柳だって、要冷蔵、賞味期限3日の条件で作れば、もっと美味しい物が作れるはずです。
親愛なる名古屋人のみなさま。宮崎県へお立ち寄りの際は、是非、ういろうをお召し上がりください。名古屋のういろうが忘れた、ういろうの原点がそこにあります。
認知症介護には24時間365日介護が必要な時期があります。自力で外出できるけど、自力で帰宅できなくなる時期です。徘徊といわれるこの時期、同居家族はすごくつらいです。誰かが、ずっとついていなくてはならないのです。
しかし、それから解放される時期が訪れます。本人に、自力で外出する気力と体力がなくなる時期です。しかし、この時期は別の意味で、つらい状態も始まります。トイレの世話が始まるのです。
トイレがどこかわからないので、トイレではないところで、トイレをしてしまいます。その後片付けのつらさは言葉にもなりません。
トイレの失敗をさせないためには、定期的にトイレに誘導して用を足すようにしなくてはいけません。トイレの介助は症状が進むごとに、介護側の負担が大きくなっていきます。
この時期、意外な障害があって、驚いたことがあります。両手をひいてトイレ誘導するのですが、居間から廊下へ、廊下からトイレへ移動するとき、母の足が止まるのです。しばらく立ち止まり、段差を乗り越えるように敷居をまたぐようになりました。
居間と廊下とトイレでは床の色が違います。認知症患者は床の色が違うと、それが床の色の違いなのか、段差なのかわからなくなるのです。これを奥行き知覚の障がいというそうです。
私達は自分の住んでいるところの床の色を覚えていて、どこが段差なのか覚えていますが、認知症患者には覚えられません。床の色が違うと、怖くて足を踏み出せないのです。
今更、床の色を変えるわけにはいかないので「ここは床の色が違いますよ。歩いても大丈夫ですよ」と毎回声をかけていましたが、こうなることがわかっていれば、床の色を統一したのになぁ。
これから終の家を手に入れるみなさん。床の色は同じ色にしておくと、後々便利かも知れませんよ。
English
イラスト by Vladfree
引っ越しするとき、引っ越し業者に、こんなことを言われました。
「お引越しゴミで、処分したいものがあれば、こちらで処分します。ただし『目のあるもの』の処分はお受けしかねます」
具体的には人形、写真類です。ぬいぐるみやアイドルのポスターでもダメとのことです。確かに引っ越し会社で働いている人の立場で考えれば、無理もないですね。よく知らない人の思いのこもった人形や、思い出の詰まった写真を処分するのは気が引けますからね。たとえそれが適当にとった写真でも、景品でもらったどうでもいい人形でも、他人には怖いかもしれません。
お子さんのいない大叔母が他界した後、その遺品を整理したのは私です。週に一度通って、二年くらいかけてやりました。リサイクルできるものはリサイクルして、可燃、不燃、缶、びん、ペットボトルきれいに分別して捨てました。
彼女の夫、私の大叔父の趣味は写真で、仕事も写真店経営でした。大量の写真が残っていました。私はそれらの処分を後回しにしていました。可燃袋に入れて捨てるだけの簡単な作業だと、あなどっていたのです。大叔父とは仲良しでしたから、たたられない自信もありました。しかし、うかつなことに、遺品整理も終盤にさしかかった頃、私は体調を崩し、長期入院生活をすることになりました。
空き家をほったらかしにするのは、よくありません。私は愛妻に、残りの遺品を業者に処分してもらうように頼みました。遺品の中には大量の写真があったのに…。
その業者はお寺から和尚さんを呼んで、経をあげてもらってから、それらの大量の写真を処分したそうです。和尚さんに支払ったお布施を惜しむわけではありませんが、私が最初にそれをやっておけば、簡単に済むことだったのに…。
引っ越しや遺品整理をするときに、本人や近親者が最初のうちにやっておいたほうがいいことの一つは、『目のある』ものを処分することかもしれませんね。それらは近い人の手で処理されるべきなのかも知れません。
English
イラスト by 和田正之