ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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U先生は東京大学の女性教授。U先生が京都の院生だった頃、先生は母の講演を聴いて感銘を受けたそうです。母と個人的に連絡を取るようになり、師弟のような関係だったようです。後にU先生の方が有名になりましたが、事あるごとに母を立て、母の参画するイベントに協力してくれていました。
母が認知症であることが確実なってしばらく後、母と母の友達の企画するイベントにU先生も参加して下さいました。すでに母には私の付き添いが必要な状態でしたが、私は母が認知症であることを隠していました。母の名前にまだ力がある内に、母が運営していた組織等の引き継ぎをしなくてはいけないと思っていたからです。母の後継者達が、母の名前を使って、有利に新体制に移行できるよう気を遣っていました。
イベントの終わった帰り、タクシーの中で、母と私とU先生だけになりました。名古屋駅に向かう10分ほどの短い時間の会話の中で、U先生は母が認知症であることに気づいたようです。私はU先生が気づいたことに気づきましたが、黙っていました。
名古屋駅でタクシーから降り別れる時、U先生は涙を溜めて母を抱きしめました。母はよく分かっていないようでした。
母と2人で、U先生の後ろ姿を見送りました。東京在住のU先生は今日の内に新幹線に乗って帰られるのでしょう。
ところが、U先生が新幹線口に向かっていなかったのです。名古屋駅は名駅と訳されますが、迷駅ともあだ名をつけられています。複雑な構造で、地元の人でも間違いやすいです。私は追いかけていって新幹線口を案内しようかと思いました。でも、やめました。迷っていいのです。
師と別れて道に迷う。U先生は今さっき、母が認知症だと知ったのです。おそらく、この瞬間は彼女の人生にとって重要な場面です。私のような三文役者が登場して、大切なシーンを台無しにしてはいけないのです。私は母と、あらぬ方向へ消えていくU先生の後ろ姿を黙って見送りました。
数年後、母の関係者の誰もが母が認知症だと知るに至った頃、母を連れてU先生のイベントに参加しました。前半は他の先生の講演。U先生は客席で母の隣に座って、ずっと母の手を握っていてくれましたよ。
師と別れて道に迷う。私も経験があります。毎年、師と仰ぐ方のお墓参りをしています。墓石の冷たさに凍えます。あるいは、母は暖かい墓石なのかもしません。もう会話をするのは難しいですが、少なくとも手を握れば、ぬくもりを感じることが出来ます。
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イラスト by Kyoko