ブログというか、まぁ思いついたものを書いています。 ショートアニメを作っています。元舞台役者です。
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二十歳の時、どういう基準で選ばれたのかわかりませんが、私は成人式の代表のスピーチに選ばれました。
当時、携帯電話は、まだ、普及していませんでしたので、その依頼は我が家の電話にかっかってきました。私は不在でした。電話に出た母は、その場で、その依頼を断りました。
母の主張はこうです。
「息子はまだ学生にすぎない。成人式のスピーチは、すでに社会人として働いている人がやるべきです。他をあたってください」
私は成人式でスピーチをすることに興味がなかったので、気にしませんでしたが、これは正しいことではありません。
母に、いかなる主張があろうとも、同居する成人に正式に来た依頼に、家人が勝手に答えることはできません。母は、その場で返答せず、私の帰宅を待って、私に伝えるべきだったのです。その時に、自分の意見を添えるのは自由です。成人式を迎える息子、本人に決断させるべきでした。
成人式当日、私の代わりに、私の親友でもあるA君が、スピーチをしました。実は、私はA君のスピーチを楽しみにしていました。私より適任です。彼も学生でしたが、私と違って、国立大学に通う優等生で、人望もあり、ユーモアのセンスもある好人物。彼が小学校の生徒会選挙でした、奇抜なスピーチは、今も忘れられません。
ところが、A君、ずっと交通安全の話ばかりしているのです。しかも楽しそうじゃない。何が起こったのだ?
式後、A君に直接話を聞くと、A君の書いたスピーチの原稿は、何度も警察によって修正されたのだそうです。結果として、交通安全の話ばかりになってしまったのです。
愛知県は交通死亡事故のワースト県でした。今も上位です。悲惨な交通事故に接することの多い警察の人が、新成人に安全運転を呼びかけたい理由はわかります。しかし、成人のスピーチの内容を無理矢理、修正する権限は、誰にもないのです。
正しければ何をやってもいいというものではありません。
私も年をとりました。こうあるべき、こうすべき、と思うこともたくさんあります。でも、その大きな正義で、小さな正義を踏みつぶしたりしないよう、気をつけようと思います。
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イラスト by osame